わたなべ正博 Profile〜プロフィール〜


●1950年(昭和25年)上田市下之郷に生まれる。
●上田城南高等学校(現上田西校)卒業。
●東京特殊電線株式会社(トウトク)に29年間勤務。
●上田市議会議員(4期目)
●下之郷副自治会長
●上小連合青年団団長(2期)・長野県連合青年団副団長(1期)
●上田市保育園保護者会連合会三役

●上田千曲高等学校PTA会長
●下之郷三頭獅子舞保存会会長(現)
●あゆみ保育園理事(現)
●原水爆禁止上小地区協議会副会長・平和行進実行委員会事務局長(現)

○家族・・・妻、子ども3人、母、叔母の7人・・・詳しくは、「家族の肖像」をご覧下さい。
○趣味・・・渓流釣り、スキー・・・詳しくは、「釣り人」をご覧ください。


〜ふるさとを愛し、平和を願う気持ち、これが私の原点です〜

塚電車松茸
私のふるさと・・・塩田
 子供の頃、蚕の桑切りの手伝いに行き遊んだり雨宿りしたのが今の「いにしえの丘」にある長田塚でした。ちょっと山の奥に入るともっこりとした小山があり、そこを登ったり降りたりして遊んだものでした。しかし、それが古代の人の墓であり、たいへん貴重な下之郷古墳群であるとは知る由もありませんでした。
 教育委員会の分布調査では、84基あるとされている内、開墾などで姿を消したものもありますが、43基が確認され、県内でも有数の古墳群であるとしています。
 この古墳群は歴史の経過を照明する上で、貴重な文化財であると同時に、塩田平にある国宝、重要文化財を残している基盤となっています。そのため、この地(下之郷)が信濃国の古代からの歴史を解明する上で、きわめて重要な地域であると思われます。
 塩田平は、古代の古墳があり、中世鎌倉文化が残り、武田、真田の戦国時代、近代、現代そして近未来の最先端でマルチメディアと、古代から現代へ、連綿とした歴史すべてが凝縮しているといえます。その意味で、塩田平全体が文化財といっても過言ではありません。
 東山の古墳群から見る、いくつものため池のある田園風景は歴史景観そのもので、将来にわたり守っていかなくてはならない大切なものと考えます。


父の戦争体験
 わたしの父親は、戦争でニューギニア戦線に送られた時のことをよく話してくれました。
 「戦友のほとんどは、敵の銃弾に倒れたんじゃなくて、ジャングルをさまよい、食べるものもなく死んでいった。ヘビやトカゲを捕まえても焼くとにおいが広がって、周りのものに気づかれてしまうので、生で食べるしかなかった。おまえ達にあんなむだな苦労はさせたくない、戦争なんかぜったい起こしてはいけない」という父の言葉を今でも鮮明に覚えています。しかしそんな父も現代の交通戦争には勝てませんでした。


獅子
「下之郷三頭獅子」現在は保存会長
青年団と私
 わたしは高校卒業後、東京特殊電線(トウトク)に入社、同時に地域青年団に入団しました。地域の仲間とともに盆踊りを定着させたり、生島足島神社の獅子舞の復活や敬老会、各種スポーツクラブの結成など、子どもたちからお年寄りまで集え、そして青年にとって魅力ある地域にしようと活動してきました。
 新潟からこの塩田に越してきた、我が家にとっては食べていくことと同時に、この地域になじむことは特に大事で、わたしが青年団に入り地域のために一生懸命やっていることを父は大変喜んでくれました。当時の古い体質の中で必死に生きてきた父の思いがそこにあったのだと思います


原水爆禁止世界大会に参加して
 そしてわたしの生き方を決定づけたのは、1977年広島で開かれた原水爆禁止世界大会に青年団の代表として参加したことでした。そこで見た原爆投下の写真パネルや被爆者の描いた絵、そしてなによりも強烈な印象を受けたのは被爆者による被爆体験でした。
 その思いは「原爆の被害者は私たちを最後にしてほしい」「核兵器をこの地球上からなくしてほしい」という被爆者の訴えでした。
 「核兵器をこの地球上から一日も早くなくす活動をしよう」そして「今も苦しんでいる、被爆者の痛みがわかる人間になろう」そんな思いで、いままで原水爆禁止世界大会に毎年欠かさず参加しています。
加えて、当時青年団もいっしょにやり、またこの運動にも参加した一人の女性と、お互い同じ価値観をもって生きていこうと結婚を誓い合いました。そして三人の子どもにも平和の尊さや人間が絶対犯してはならないことを知ってもらいたいと、いっしょに参加もしてきました。

庄本安斎